ゼロ伯爵さん
Lifeの皆さんこんばんは。
三十路でバーテンダーをやっております。
仕事柄、様々な立場の方の思想(考え方)に接する機会はとても多いです。
しかし「それを思想と呼ぶのか」となるとすこし考えてしまいます。
思想と呼ぶにはあまりに具体的個人的すぎるし、
かといって実践的なHow toなわけでもでもなし。
そんな時に便利な言葉がありました。
「美学」です。
「それぞれの「思想」に基づいて生きている」というより、
「それぞれの「美学」に基づいて生きている」と言った方が、
適度に個人的で、適度に一貫性のあるニュアンスで私はしっくりきます。
「美学」って言い切っちゃった場合の説明不要な感じが、少しずるい気もしますが、
その分だけ行動で判断され、責任も持たなければいけない所が、
またいいところな気もします。
私にとって美学とは、現実世界に生きている事実と、
様々なところで触れる思想の二つを親として生まれるものです。
そう言った意味では、現実的な行動規範としての美学を生まない思想は、
私にとってはいらない思想なのかも知れませんね。
夢見がちなことを言いますが、
触れた人々が幸せになる思想が生まれてくることを祈ります。
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大内さん
私にとっての思想、それは忌野清志郎です。
亡くなったからというわけではありません。
詩人で、ソウルシンガーで、稀代のパフォーマーであると同時に、
私にとってはそういう存在でもあったのです。
反骨とか反体制とか、そんな上っ面の部分ではない、深いところで
思想を体現している人でした。
言うことととやることのあいだに齟齬のない人でした。
何を言うか、それ以上に、どう行動するかが大事なんだということ
を教えてもらったような気がします。
一例を挙げます。インタビューの言葉です。
本当のこと言ってたってさ、それはちゃんとやらなきゃ嘘になるっ
て多いじゃないですか。
「僕はいずれカメラマンになって忌野さんの写真を撮りたいんで、
僕のこと覚えていてください」とか言うやつ多いじゃない(笑)。
それは言ってるときは本当のことだと思うんだ、そいつにとっては。
だけど、ちゃんと努力して本当にそうなって、俺の写真を撮りに来
ないと本当じゃないよね。
本当にはなんないよ。(『生卵』より)
他人の口を借りて物を言わない、自分の頭で考える。
日々考えているが、行動に移すときは直感にもとづく。
結果、やったことに余計な説明はしない。
だから謎が残る。それが受け手をも考えさせる。
(きわめて思想家らしいふるまいではありませんか!)
「COVERS」発売禁止、「あこがれの北朝鮮」をはじめとする
一連のタイマーズの歌、「君が代」のカバーなどなど、物議を醸し
た行動に関しても、この原則が貫かれていたと思います。
いまも清志郎の行動と言葉について考えつづける毎日です。
===
さよなら三角また来て刺客さん 31歳・男
「現代の現代思想の課題」
【1.思想は必要なのか?】
思想は必ずしもすべての人にとって必要ではない。
ただそれが人生の助けになる人もいれば、
創作のために(つまり小説や映画や演劇や絵画や音楽といったもの
を作るために)その創作の源泉として必要とする人もいると思います。
【2.思想の導入のされ方】
ではそれがどうやってもたらされるかというと、
やはり基本的に思想というのは、時間軸に沿って連綿と流れ込んで
いくものだと思います。
ただしアカデミックな研究者は例外として、私のようなごく一般人
にとっては、思想はかならずしも体系的、網羅的に学び取るものではなく、
きわめて個人的に召喚されるものでしかありません。
例えばプラトンとマキャヴェリのあいだに思想の線があるとすれば、
マキャヴェリを読む私とマキャヴェリの間にもプライベートな線が生じる。
さらにその線を遡っていけばプラトンにもたどり着く、という次第です。
そういった線をもっと太くしたり、伸ばしたり、あるいは
無数に引いてみる、ということで、より豊かになれる、
歴史的な流れの中に繋がれる、というイメージ はあると思います。
ただこういった考え方は、特段に新しいわけではなく、
むしろ古いタイプの考え方に属すると思います。
【3.現代の状況 「思想・ニアイコール・ウィキペディア」】
いっぽう、現代の「現代思想」にとっておそらく重要なのは、
なにもかもがフラットになっている、という状況です。
例えばそこにカート・ヴォネガットがある、ジャン=ジャック・ルソーもある、
織田信長もある、フェリーニもある、さらには漫画の『ワン・ピース』もある、
というような。
そうやってあらゆるものが優劣なくフラットに並べられる現代の状況は、
年配の方からすると眉をひそめるような軽薄な感じに思われるかも
しれませんが、私はとても面白いと思っています。
ヒップホップでいうところのサンプリングを駆使して、
どんどん好きなものを引っ張ってくればいいと思うし、
仮にウィキペディアを「思想の海」のようなものと考えれば、
その海に釣りに出かけていってその都度欲しいものを引っ張りあげ
てくる、といった感じです。
【4.本題:現代の現代思想の課題】
さてここからようやく本題ですが、
私が思うに、課題は2つあります。
(課題1:思想史研究者とデータベース)
1つはフラット化が進む中で、それでも思想的なものを
なんらかの体系の中で整理していく必要が ある、ということです。
これは一方では、アカデミックな学問の世界で「思想史」としてま
とめられるべきことですし、
またもう一方では、ウィキペディアなどのデータベースを充実させて、
思想へのアクセシビリティをあげていくということです。
後の世に思想を橋渡ししていくためにも、
こうした仕事は誰かがやらなくてはいけないことだと私は思います。
(課題2:思想のメディアづくり)
もう1つは、ある濃縮された密度の中で(というのはつまり何らか
のメディアを通して)、現代にとって必要と思われる思想を導入し、
かつそれを広く紹介していく場をいかにして作っていくかということです。
そこには、この思想を今このタイミングで紹介することの意義とか、
読者に興味を持って読んでもらうためのパフォーマンスといったことが、
たぶん説得材料としては必要になりますけど、そこに導入され、
紹介される思想は、あくまで個々人が恣意的に選んだもので
全然いいと思いますし、むしろ恣意性が前面に出るほうが、
とんがって面白そうです。
昨年は雑誌が次々廃刊されるいっぽうで、
新しいメディアも登場してきました。
おそらく『思想地図』の役割はこのあたりにあるのではないでしょうか。
(と勝手に思ってます。ちなみにLifeにもそういうところがありますね)
そして、それがあくまでも恣意的なものにすぎない以上、
そうしたメディアは、ひとつではなくいろんな場所に複数乱立した
ほうがいいと思いますが......
長くなりましたので後の議論はみなさんに委ねたいと思います。
長文失礼いたしました。
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stilllifeさん (26歳学生・女性)
東さん!!!最後のパート超かっこいい!!
熱い心意気に胸震えました。平素からインテリ好きを公言していますが、
本当にこういう人の話を聞いてるのが大好きだ!!エキサイティング!!と
改めて実感しました。
「新しいシーンを作る人間であれば思想界のためには必要な戦力だから
たとえ自分と相反する人間でも評価する」とかこういう考え方物凄く共感できます。
東さんが「ホロコーストの犠牲者の子孫のシンガーが歴史修正主義を容認する
事の凄さ」を語ったことにも共通する心意気だと思いました。
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