はかまさん 水戸市 37歳
いつも興味深く聞いております。
日常生活において嫌なことがあったり、
失敗したり、くじけたりするとき、
根本敬氏の「でも、やるんだよ」という考え方に
強く惹かれます。
何かに立ち向かっていくときに、相手があまりにも強大で
自分ひとりではかなわないかもしれない。
そんなことはわかっている。でも、あえてやるという考え方です。
吉田豪氏や、町山智浩氏など、
影響を受けた方も多いと聞きます。
※僕も根本さんの「でも、やるんだよ!」には影響を受けましたねぇ。
でもこの「でも、やるんだよ!」って、単純な前向きさとかでは全然なくて、
完全に無駄だとわかっていながら、にもかかわらずやる、っていう
絶望しながら全力疾走みたいな境地なんですよね。(黒幕)
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しまたすさん
僕の中で現代思想と言うと、最先端がみうらじゅんさんや、杉作J太郎さんです!!
50年代にガスリーがいて、その影響を受けてボブ・ディランが60年代以降存在し、さらにディランの影響でブルース・スプリングスティーンや吉田拓朗が70年代から登場し、80年代に糸井重里やU2、90年代以降がみうらさんや杉作さんの台頭になる気がします。
つまり、僕の中で現代思想とはこの「ディラン的なもの」だと勝手に思ってます。
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メタボポニョさん 20歳 学生
はじめて、生ライフをネットカフェで聞こうとかんがえています。
というのは、ぼくの部屋(寮)は、ネットもなければ、ラジオも入らない
非現代(笑)な環境なので、本放送を最初期からポッドキャストで
補完してきましたが、今回はどうしても生で聞きたいので、
メールさせていただきます。
ぼくにとっての現代の思想とは、「反(カウンター)」だとおもってきました。
おそらくこのような問いに共通性がなくなったということ、それが現代たる
ゆえんのひとつだとおもいますが、ぼくにいたっては、子どものころから
まわりになじむということが、自分でも嫌になるくらいキラいで(リスナーの
おおくのひとがそうだと信じてますが)、なんでも反語でモノをみてきたふしが
あるんじゃないかなと今おもいます。ツンデレなのかもしれません。
しかしぼくじしんは、デレが欠けていると常々おもいます。
反(カウンター)というと、カウンターカルチャーとか、反面教師などということば
がおもいうかびますが、従うことと、反するということ、この対立は、現代にとって
どのような意味をもつのだろうか、この対立自体がもう無意味なのだろうかと
おもってしまいます。みなさんにとって、「反」ということには、どういう意味を
もつものか、お聞きしたいです。