ねじまきゼット 30歳 長野県上田市 福祉職 男
最近、ぼくの親父は60歳にして再就職が決まり、10年以上の
ニート生活から脱出しました。50歳でリストラにあい、ヘルパーや
福祉有償運送などの有償ボランティアぐらいしか働く仕事がなかった
親父の就職に、「おめでとう」と「無茶しやがって」という気持ちが
半々ぐらいでした。
ですが、話を聴くとその会社は地元にちょっとある怪しい企業で、
初日から新任者には普通任せないだろう仕事などが振られている様子...
それも、ちょっと引くぐらいの...
親父のリストラの後、ぼくは大学を辞め大学の通信講座で大卒と
なりましたが、親父のことは全く恨んだり責める気持ちはありません
でした。むしろリストラされるまで合わない仕事にイライラしていた
親父の姿を見ていたぼくからすると、自宅の前にある田んぼと畑で家で
食べる分の米や野菜をつくっている穏やかで丸くなった親父の
「少し早い隠居」にぼくは密かに喜んでいたりもしました。
母はぼくに色々と愚痴てはいましたが。。。(汗
老いを否定や拒否するまでもなく、仕方なしに「老いてる暇なんてない」
と言うかのように自ら「仕事」というレールの上に乗って行く親父。
それは親父だけがそういうことではないようです。
予告編でも話に上がっていましたが、コンビニ行けば父母と同年代の店員が
朝早くからレジを打ち、高速道路のサービスエリア内のフードパークでは
やはり同年代のおじさん・おばさんが若いバイトに混じって声を上げて
食券番号を読み上げています。人それぞれの理由があって60歳を過ぎても
働いているのだとは思いますが、もう少し緩やかに、自分の為に、無理する
ことなく歳を取れないのでしょうか?
もうひとつ、歳をとったその時のイメージを親父はどう捉えていたんだろう?
とも思いました。親父が60歳の誕生日を家族で祝った際に、プレゼントした
赤いパジャマ羽織りながら「年取っちまったなぁ」と呟いていたのが印象的
でした。もしかしたら、「働く」ことが「アンチ」エイジングとなっている
のかもしれません。だとしたら「エイジング」とは、「働けない」こと
なんでしょうか?逆に働けなかったり、働く機会がない人たちにとって、
老後や老いる、加齢ということはかなりネガティブなことになっていないのか
と思うのが、「アンチエイジング社会」化する現在にぼくが思うことです。
家の経済的な理由だとはいえ、充実したプチ隠居生活から再び「働く」ことを
選んだ父は「老後」をどう考えていたんだろう。そして、ぼく自身はこれから
自分がゆっくりと迎えるそのことをどう考えていけば良いのでしょうか。
======
鶴賀太郎 39歳、グアム在住
先日、阪神の金本選手が引退を表明をされた直後のTBSラジオの
「たまむすび」でビビる大木さんが「阪神の若手は金本選手の引退を
バンザイと思わなければならない。でも結局レギュラーを奪えないまま
辞められた」というようなことを話しているのを聞き、ひどく得心して
しまいました。
確かに金本選手の努力、業績たるや賞賛に値します。
でも若手が44歳のおっさんからレギュラーを奪うことができなかった
というのもまた事実です。彼らはレギュラーになれないことを
「金本さんがいるから」ということを言い訳にしていなかったか、
ポジションを奪うために金本さん以上の努力をしていたのかということ
を問うてみる必要があるのではないでしょうか。
このことは一般社会でも一緒です。確かにアンチエイジングが進み、
信じられないくらい元気なおっさんもたくさんいます。
そのためなかなか機会が与えられず、結果が出せずにもやもやしている
若い人もいるのではないかと思います。
また就職氷河期のためいい会社に就職できないと嘆く人も多いと思います。
でもあと数年もすれば団塊の世代が次々とリタイアし、日本は確実に
人材不足になります。若い世代に必ずチャンスがまわってきます。
その時のために是非普段から牙を研いでおいて欲しいと思います。
若い頃は、すぐにチャンスが欲しく、すぐに結果を出したいと思いがちです。
でもチャンスをものにするのが数年遅れようが大した問題ではありません。
それよりもチャンスというのはいつも突然やってきます。その時にちゃんと
準備ができていないとそれはあっという間に通り過ぎてしまいます。そして
若い世代がそういう機会をきちんとものにできないのは、彼らにとってだけ
でなく社会にとっても大きな損失です。
人口が減少傾向にある日本では若手に自己研磨が必要なのと同時に、
組織も常に若手を登用できる体制を築き上げないとダメでしょう。
さもなくば気づいたらあっというまに老け込んだ組織になってしまうかも
知れません。
そういう意味で隙あらばレギュラーの寝首をかかんとするくらいに
前のめりな塚越健司さんや小林昌平さんのような人をどんどん登用している
Lifeは大変よろしいのではないかと思うのです。はい。
=====
鹿児島市のリッチー
鹿児島県大隅半島の地域病院で看護師として働きながら、
鹿児島大学で地域看護学を研究する者です。
ほぼ毎回LIFEをポッドキャストで拝聴しています。
こちら大隅地域では高齢化率ざっと40%、日本の近未来が一部は現実化
しています。僻地特有の自動車社会で、緑内障や白内障の手術を受ける
老人が多くいます。交通事故も非常に多い地域です。
今回のテーマ「アンチエイジング社会のゆくえ~そして誰も老いなくなった」
を見て興味を持ち、さっそく予告編を拝聴しました。その上で、今回のテーマ
にある「誰も老いなくなった」に素朴な疑問を感じました。
医療現場の立場で言うと、「誰も老いなくなった」の意味は
「老いが20年くらい先延ばしされ、時限爆弾のように一気に顕在化するように
なった」ということだと思います。以前より20年くらい先延ばしされた老いは、
従来の一般的なイメージに比べて、はるかに重度かつ劇的です。
昔、多くの人が50~60歳代で死を迎えた頃に比べて、近ごろ70~90歳代で
老いる人は、既に複数の身体疾患を抱え、認知症を合併する人も激増しています。
このため従来の医療や介護の制度の枠組みでは支え切れない場合が増え、
現場や家族を疲れさせています。
ざっくりした言い方ですが、人は死ぬにも体力が必要です。
その体力を残らず自分が生きるためだけに使い、それ相応の根回しを
しなかったために、悲惨な末期を迎える人が激増していると強く感じます。
ほとんどの人はピンピンコロリでは死にません。確か救急車の出動理由から
の推計では突然死の確率は3%くらいだったと思います。
長い間老いない人ほど、最後には意識障害や認知症を抱えて全介助を受けて
生きる可能性も高まるので、自分の死ぬイメージくらいは、判断能力がある
うちにつけておく必要があると思います。
「老いなくなった」社会は「いったん老い始めれば坂道」の社会でもあると
考えて、できれば各自でリビング・ウイル、エンディング・ノートの類まで
用意しておいてくれたら、最後を看取る人にとっても、不安なく十分なケア
をしてあげられる可能性が高まります。