「ポスト・トゥルースのその先へ」part4(31'25")
○文学とポスト・トゥルース
・後半戦は何を発信していけばよいのか、
どんな言葉に寄り添えば良いのかについて(charlie)
・ポストトゥルースの今、何が必要なものは文学(海猫沢めろん/メール)
→文学とは、わからないということ。その重要さをみんな忘れている
→由緒正しいポスト・トゥルースといえばオカルト、3月のイベント
・めろん先生の小説は右から見るか左から見るかでキャラが違う(charlie)
・ニューエイジを抜けた先にオカルトに落ちていくことはある(速水)
・めろん先生の疲れはアメリカ社会の疲れと同一かもしれない(charlie)
・人は物語でしか理解できない、抽象化しないと受け入れられない(速水)
→心をハートマークで表す
・村上春樹の『騎士団長殺し』は物語の復権がテーマ。
実在しないものを描き続けている(速水)
→前作でも直接的に震災を描いたわけではない。
ドキュメンタリーでは伝わらないものを物語にして出す(速水)
→抽象化の作業の中で生まれたキャラクターが騎士団長(速水)
→今回の主人公も肖像画家で、通じるものがある(速水)
・エビデンスやデータ、ファクトといった科学者間の共通言語を
そのまま社会に投げかけるのは問題か(charlie)
○トゥルースとファクト
・トゥルースは構成されるもの。
ファクトはそこにあるものだがフレームが伴う(神里)
→科学で分かっていることはごく一部
→ファクトは実験で確認できるものだが、ほとんどはできていない(神里)
→生命科学の分野はグレー。医師を信じていること、権威が大事(神里)
・科学で解明されている事象は思いのほか少ないが、
引用する側がトゥルースにしてしまう(charlie)
・インチキも状況や対象によってはインチキとは言えなかったりする(charlie)
・文学は人類のツール(神里)
→コレラなど1番ひどいものにカタを付けたが、
ガンや生活習慣病のような、複雑なものが残った(神里)
・ガンには「治療するな」という類の縋るための物語が用意されている(速水)
・難しいことを考えたくない、という風潮をを集団レベルでやってしまう(冨永)
・あらゆる人が互いに委託し合う専門家(神里)
・マインドフルネスの痛み軽減はプロットである(速水)
→単純化・抽象化された物語が勝つ(速水)
・文学とは身体性を伴った個人にとっての物語。科学は普遍性を求めてきた(神里)
・従来の機械は普遍性に則ってきたが、PCは個人用にカスタマイズされる(神里)
→PCはポスト・トゥルース(神里)
・文学とか文芸はどこから出てきたのか(charlie)
・ナラティブ、語り手の恣意性が入るところにポイント(倉本)
→古事記は神話。「語られる」ことで100%のファクトではなくなる(倉本)
・作者と作者が設定する語り手の間に隔たりがある(倉本)
→国語の授業などをうけているとその距離感は感じられない(charlie)
・日本はそもそも「私」っていうものが希薄。だから日本の私小説は特異に(倉本)
・日本は全体から何かを読み取るという落語的な語りに慣れ親しんできたから、
作者の見た世界観を写し取り、理解するというやり方にピンとこない(charlie)
text by Life助手:舟橋瑞季
このパートでかけた曲
●USA For Afica "We Are The World"(斎藤哲也)
参考資料
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TBSラジオ「文化系トークラジオLife」
偶数月・第4日曜日25時〜生放送!
AM954/FM90.5
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