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2012年08月26日「"楽しくやろう"というけれど...」未読メール2

スミス 大阪在住 26歳 社会人5年目のサラリーマン

予告編でありましたが、今の若者の就業状況は「今を少しでも楽しもう」
としないと、働くことが難しい状況ではないかと思います。

昔の終身雇用、年功序列とは違って全く先が見えない状態、ぶっちゃけ
自分の会社自体もあと何年もつのかよく分りませんし、これからずっと
この仕事をやっていけるかはさっぱり分りません。
僕の親父は「仕事とは苦しいもんだから、金がもらえるんだ」といつも言って
割り切って働いていました。仕事を続けられる、昇進が出来るという未来が
見えている中でそうした割り切った働き方は可能だと思いますが
先も見えない中で働く僕たちは、「耐えるだけ仕事」を続けていくことは
大変厳しいのではないかと思います。

そうした中で僕が仕事を楽しむためにやっているのは
「自分のやり方で仕事をやること」です。

僕は一般的に言われる「古い体質の大企業」で働いていて、
会社の中では立場が弱く、上司から指示されたことやルーチン業務が
仕事の主体です。

会社や上司の意向の中で、「やらなければいけないこと」は
予め決まっていて、それは自分のしたいこととは必ずしも一致していませんし、
自分では賛同できない仕事をしなければいけない時もあります。

その中で少しでも仕事を楽しむために僕がやっているのは
「やらなければいけないこと」をやる「方法」を自分で考えることです。

与えられた「やらなければいけないこと」をそれまで通りのやり方で
行っていくのではなく、仕事の目的を考えたうえで、自分なりにその目的に
最も適した「方法」は何なのか。それを考えて仕事のやり方を工夫して
いくこと、そしてその成果を上げることに僕は楽しみを見いだしています。

具体的にはルーチン業務をプログラムで書き直して時間短縮、
資料のフォーマットを見直して関係者に見やすくする、
必要ないという仕事があれば廃止を提案してみるなど、
些細な事ばかりではありますが、そうした「自分のやり方」の工夫を
積みかさねていくことが僕の仕事の楽しみ方です。

「やりたい事=仕事ではない」、僕にとってこれが自分の出来る
仕事の楽しみ方だと思っています。

PS:予告編で言っていたイナバのタイカレーはソーメンと
チャンプルーにしてもおいしいです。


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半蔵

「長時間の単純作業が楽しくない問題」(ブルーカラー)と、
「新しいアイデア出せとプレッシャーかけられるのが楽しくない問題」
(ホワイトカラー)を分けて考える必要があるかと思います。

前者はゲーミフィケーションとかの方向に解決策を求めることになろう
かと思いますが、根が深いのは後者のほうかと思います。
クリエイティブなことをするには楽しんでないといいアイデアもわかない
けど、かといって、良い案を出せというプレッシャーがかかっていないと、
前例踏襲でやっつけ仕事で済ませたくなってしまうという二律背反が
あるからです。

クリエイティブな成果を求められる仕事で楽しく働けるかどうかは、
結局は上司が「失敗を許容してくれるかどうか」で決まるかと思います。
私が大学で修士論文を書いていた時の先生は、「研究は9割がた
失敗の連続だから、なるべく沢山失敗して下さい。大学は失敗から
学ぶところです。」と言ってくれたので、あーでもないこーでもないと
試行錯誤するのがとても楽しかったです。(博士課程に進学していたら、
失敗ばかりだと修了できないのでそうも言ってられないのかもしれませんが。)

今の会社は絶対に失敗を許してくれない雰囲気なので楽しくないですが、
そんな中でも、重要性が低くて失敗してもあんまり怒られない仕事を見つけて、
好き勝手やるのが楽しくやる秘訣かなあと思ったりします。


==========

簗瀬洋平 ゲームデザイナー/シナリオライター

今回のテーマ『楽しくやろう』は我々ゲーム開発者という職業の人間に
とって当然興味深いものです。ゲームデザイナーはゲーム制作の際、
ポジティブなフィードバックを短いスパンで与えるという事を非常に
重視します。

自分のアクションが自分にとって有益な何かをもたらす、という事に
人間は喜びを感じ、次のアクションのための強い動機になります。
だからこそ、ゲームにおいてはゲームを進めるための「正しい」行動に
対し音や画面効果などで繰り返し演出し、それがプラスの行動だと
いう事を教えてあげるわけです。

良く出来たゲームは「正しい」行動を用意し、正解を評価し、
少しずつ難しい正解をクリアするために徐々に学習するための
仕組みを巧妙に作っているわけですが、誰もが知っている通り、
現実世界においては何が「正しい」行動で「正しい」結果なのかは
非常にわかりにくく、誰の視点から評価されるかでどんどん
変わってしまいます。

よって、現実というゲームをプレイする場合、どういったものを軸に
自分を評価し、生きていくかが大きなポイントとなりますね。
言うならば、自分自身がレベルデザインをし、ゲームデザインをし、
ディレクターとなってゲームをコントロールしていくわけです。

私自身の場合は大学時代にゲーム会社でアルバイトを始め、
当時通っていた大学の授業をそのままゲーム開発に活かす事が
出来たため、今でも学びが軸の人生を生きています。
毎日に何かしらの新しい知識や情報を仕入れ、それについて調べ、
仕事や生活に活かし、時はそれを大学の授業や勉強会などで
アウトプットし、フィードバックを受けるというループが自分の人生
を楽しくしています。学びというスイッチによってゲームを楽しく
しているパターンですね。

このゲームは誰がプレイしても楽しいか、と言われるとなかなか
難しいですが、自分自身では非常に気に入っています。
インターネットがあって交流できる人がいる限りはたいてい
おそらくどんな生活、どんな仕事をしていても楽しむ事ができる
汎用性の高さを持っています。

私はこのスイッチを大学時代に入れる事が出来たので非常に
ラッキーでした。おそらく研究者になるような方も、同じようなスイッチ
を入れて生きてきているのではないかと思います。

ゲームデザイナーというのは、人を楽しませるコンテンツを作る職業で
ですが、昨今ではゲーミフィケーションという新しい分野も台頭し、
既存の機関や社会の仕組みを工夫する事によって、社会の様々な
局面で人が楽しめる仕組みを作る事ができる可能性が出て来ました。

究極的には、与えられた仕組みによって楽しくなるのではなく、
誰もが自分自身で自分が楽しむためのゲームルールを設計し、
楽しんで生きて行けるような世の中を夢見ています。

と、こんな事を考えるのも、普段ゲーム開発をしている自分の
毎日の積み重ねに大目標を与えるための自分のゲームデザイン
なのかも知れませんが。

=====

Dr.ホプソン

ご無沙汰です。ライフファミリーの遠い親戚、ホプソン改「Dr.ホプソン」です。

さて、「楽しくやれてるか」という話と、ご無沙汰になってしまった理由が
ちょうど重なり、久しぶりにメールすることにしました。

先月まで、博士論文の仕上げで鬼のように忙しく、お陰様でめでたく
7月10日にディフェンス(口頭発表・口頭試問)を無事通過しました。
論文に没頭していて、メールするどころではありませんでした。

同期や後輩の院生たちはみんな、けっこう辛そうにしていますが、
僕は一人、密かに楽しくやっていました。博士をとり、大学で教員を
安定的に務めるという夢のために、日本でのそこそこいい仕事を捨てて、
家族を連れて帰国し、極貧生活を6年間も強要させて、もし失敗でもして
論文が終わらなかったり、就職ができなかったりしたら、30代後半、
妻子持ちなのにキャリアもお金も家も何もない結果になりかねない
というかなりの重圧はありました。しかし、それだけの期待と責任を
背負ったからこそ、楽しくやろうと思ったのです。博士をとるのは、
ものすごい勝手でした。好きで好きでたまらないから、家族に辛い思い
をさせてでも、やり通したい。逆に、辛い思いをさせて、それでもダメなら、
人生の崖っぷち。そう自らを追い込んで、最高のパフォーマンスを
引き出すことができたと思います。ディフェンスは、魂をつぎ込んで
書いた甲斐があって、あっけなく終わりました。

途中で何度も挫折しそうになったり、落ち込んでカウンセリングを受けたり、
不安に襲われて不眠症になったりもしました。それは否定できません。
じゃ、何が楽しかったかと問われれば、たぶんオリンピックやひょっとしたら
レスキュー隊とか、極限の状態の中で自分の感覚とスキルを研ぎ澄まし、
ベストを尽くすという、純粋な喜びがありました。むろん、それらの例と
違って、論文の執筆は地味なものですけどね。

これはすべて、結果オーライだったからいえることだということも
承知しています。今月からアメリカ中西部の大学で日本語と日本史を
教えることになり、ひとまず安泰。といいたいところですが、これも一年契約
という期限付きのもので、更新できるかどうか、何ヶ月も先まで分かりません。
その可能性、いや、その希望にかけて、またしても爆走する日々がすでに
はじまっています。来週から秋学期がはじまり、ワクワクしています。

そして、大学院での成功体験は、これからの大きな糧になるはずです。
論文執筆中にいろんな失敗をして大変でした。しかし、それでもこんな
高いレベルの研究ができるんだ、そしてどうしたらできるんだ、
ということを学ぶこともできました。

でもそれ以上に大切なこと、楽しさの鍵を握ることは、
単純明快な目標設定かもしれませんね。
むかし、「ヒーローになるには、わかりやすい仕事が必要」と言われた
ことがあります。子供の憧れの職種は、先生、警官、消防士、医師、
看護師など、わかりやすい類の仕事ばかりです。
「博士論文を書いて、先生になってみせる」という単純な目標設定は、
常に自分の達成度を図れる物差しをくれたのです。そういう物差しは、
楽しくやることに必要不可欠。自らそういう尺を構想出来る人もいますが、
たいていは外部から与えられないとなかなか「楽しくやる」ことは困難
じゃないかなと思います。それなのに、与えてくれない職場や上司も多く
「我慢して働け」という環境がむしろ大半に見えます。
これは、せっかくの人材の最大限活用できないから、もったいないんです。

また日本に行く機会があったら、おじゃましたいと思います。
それまで、陰ながら応援させていただいています。


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