wingbeat(ウイングビート) 32歳 渋谷区
最近の首相官邸前のデモを見ていると、
かつてJリーグに存在した横浜フリューゲルスのサポーターとして
吸収合併によるチーム消滅を阻止しようと署名活動をしていた
ときのことを思い出します。
いくら「合併反対」と言っても
「スポンサーが金を出せないのだから仕方が無い」と言われたように、
「原発再稼動反対」と言っても「経済が止まるから仕方が無い」
と言われ、そもそも興味が無い人たちには全く声が届いていない、
という状況もよく似ています。
50万人を超える署名を集めたものの結局フリューゲルスが消滅した
時に私が感じたのは
「視聴率の取れない番組が打ち切られてしまうのと同じように、
いつも万単位で人を動員できるサッカーチームが
簡単に無くなってしまっていいのか?」
「結局は資本主義社会では金がすべてなのか?」
という絶望でした。
あれから14年経ちますが、フリューゲルス以降はチームが消滅する
ような事態は発生していません。これは、Jリーグがこの出来事を大きく
受け止め、経営監視体制の強化や地域密着を推進してきたためです。
結局、署名という質量の小さいものではチーム消滅を阻止できません
でしたが、Jリーグの上の方の人たちの意識を変えることはできました。
首相官邸前の大規模デモも、おそらく長期的に見るときっと大きな
影響を与えているでしょう。
前口上でcharlieが
「まずは集まって声を出すことが大事だ」とか言われても
「はぁそうっすか」となってしまう気持ちもある
と書いていましたが、私は
「集まって声を出し続けること」
こそが未来を変えるために大事なことだと考えます。
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ますだ39
毎週金曜日集まるようになって 反原発だけじゃなくて
消費増税反対や、反貧困など思い思いのアピールを
するようになって 政治家だけでなく、一般の人にも
「意見のある奴がそこにいる」というアピールして
すぐじゃなくていいから10年後20年後に
影響残せるものでいいとおもう。
『官邸前のデモは「無難」。だから効く』と小田嶋隆さんは
おっしゃっているが僕もそう思う。
何も起こってないように思えた以前の自分も、
10年前20年前とは全然違う自分になった。
今、わずかでも変化の動きを取れば10年後には変化はある。
声を上げ。周囲に伝えれば、理解されなかったとしても
いずれその波紋は伝わり続け、変化を促す。
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梅田カズヒコ (株式会社プレスラボ)
動員と革命、わくわくするテーマですよね。
最近のデモについて思う事とつながるかどうかは分かりませんが、
チャーリーの「とにかくたくさんの人が声を上げていく」という考え方と
「専門家がきちんと処方箋を出すのが大事」という考え方の対立
ですが、僕もこの対立は無意味だと思っています。なぜでしょうか。
結論から言えば専門家と大衆はどちらも大きな力を持っているし、
それぞれの立場でやれることがあるので、新しい方法論なんか
考えるまでもないという考えです。
"たいしたことは言えないけど原発に嫌悪感がある人が10万人集まる"
という事実はそれだけでこの国では革命だと思うからです。
事実、それが元となってこのように番組が革命をテーマに据えた
わけですから。
僕はどちらかと言えばメディアや広告の人間なので、そのあたりの
例え話をさせてください。
数年前、広告系の仕事をしている人が話していたのですが、
ある商品Aを売りたい人が、広告戦略として、まずは当時最も流行って
いたSNS、mixiで商品Aに関するキャンペーンをしたりバナーを
出したりして、Aに関する口コミを増やします。
次にAという商品がmixiで話題になっていますよ、
という情報をテレビ番組で流してもらう。例えば朝の情報番組で、
Aがネットで話題です、と紹介するわけですね。
今度はインターネットに戻って来あの「○○テレビ」でも取り上げられた
Aが話題だ、と言うわけですね。
テレビではネットで話題だと言い、ネットではテレビでも紹介された、
と言う。こうしてAという商品はいつの間にか話題になっている。
マス広告が効かないと言われている今、このように戦略的な広告
・PR戦略を行い、商品を売ろうとする企業が多いです。
しかし上記のような戦略的な広告戦略はつまるところ微妙に
印象操作を行っているという事です。ステマ批判がありましたが、
印象を操作されることに多くの人は抵抗を持ちます。
一方で、その商品が本当に世の中にとって価値がある場合、
広告手法は何でも良い、という考え方をする人も居ます。
さて、世の中に価値を生み出すのだから方法は何でも良いという
考え方は、どこかデモに似ています。民主主義の国で民衆が世の中
を変える正攻法は間接民主制を駆使して国会で自分たちの意見を
通すことだと思いますが、選挙でも世の中は変わらない、もっと直接的に、
世の中に訴えたい。
それがデモの意義だと思います。
この方法は問わないという意見に賛同できない人、そもそも有効な方法
ではない、と思う人がデモに熱くなれない人だと考えています。
実は僕も熱くなれない一人です。
しかし結果から言うと、冒頭のテレビとネットを往復しながら商品を
拡散させたように、専門家と大衆、それぞれの人がそれぞれの立場で
横断しながら意見を述べるからこそ、世の中は変わるのだと思います。
どちらか一方で世の中は変わりません。
「原発を止めたいと思い行動を起こす大衆が少なくても10万人居る」
という事実と「研究や知識を積み重ねた専門家が危険性を指摘する」
という事実は専門家はデモに大量の人数が集まっていることを指摘
する事で、またデモ隊が専門家の発言を引用しながら歩く事で、
ちょうど先の広告の話におけるネットとテレビ双方で行った施策のように
お互いに相関しながら説得力を持つことになると思います。
もし何か世の中を変えたい問題があった場合、
それぞれの人がそれぞれの立場で考え抜いた上で勝手に行動し、
実は手段なんて考える必要なんてないんじゃないのかな、
というのが僕の立場です
デモに集うことに対して熱くなれない部分を抱えつつも、とにかく行動を
起こすことに意味がある、というオザケンの話は案外正しいと僕は
思ってます。
ただし補足ですが、デモは暴動に変わった瞬間に大衆に訴えかける
威力を失うと思うので、先鋭化しないことを祈ってます。