次回の放送予定
lifeニュース版
IPサイマル radikoで聴く
生放送のスタジオの動画をご覧いただけます
ustreamで聴く
twitcastingで聴く
ストリーミング放送で聴く
Life書籍化第二弾ができました!

「文化系トークラジオ Life のやり方」


第一弾はこちら
Life?~番組について~
浅野いにおさんのイラストが待ち受け画面としてダウンロードできます!
access to TBS RADIO 954kHz
詳しくはこちらをご覧下さい。
イラストと番組ロゴは浅野いにおさんに描いていただきました。
radiocloud
TBS RADIO ホームページ

« 2010年5月23日「クルマ社会の過去・現在・未来」~放送後記動画 | メイン | 2010年5月23日「クルマ社会の過去・現在・未来」未読メール2 »

2010年5月23日「クルマ社会の過去・現在・未来」未読メール1

A型「文化」系 20代 女性 北区在住

郊外の田舎にある大学に通っていた私にとって車は必需品でした。
大学の駐車場には、おんぼろの軽自動車から、アルファロメオまで、本当に色んな車が停められていて、友人が彼氏のカッコいい車で、下校する姿を眺めながら「ああ、これがイケてる女子大生なんだな」なんて、感慨にふけったものです。

当時、私は中古の赤いマーチに乗っていました。
カーナビも無く、本当に走るだけの車でしたが、自分の部屋がもう1つできたような気分で、おんぼろのマーチをすごく気に入っていました。
助手席に、友人を乗せて、目的地もなく、ただダラダラとドライブしながら、就職の話、彼氏の話、家族の話、ちょっと話しにくい内容の話題も、車の中だとなぜか、自然とハードルが下がって話しやすかった・・・そんな気がします。

向かい合わせじゃない、「隣り合わせ」の空間が、人と人の距離を正しく保てる・・・車にはそんな作用もあったなと、懐かしい学生時代を思い出しながら、その絶妙な空間をもっと上手に利用すれば良かったなぁと、ちょっと切ない気持ちになりました。


===

Archie 福島県東白川郡 34歳 男 フリーター

そういえば、'90年代までは、深夜のテレビでレギュラーのクルマ番組があったものですが、気付けば在京キー局からはなくなっちゃいましたね。『カーグラフィックTV』が、BSと地方ネットで頑張っているぐらいでしょうか。


===

アンチモネシア

相対性理論の最新作「シンクロニシティーン」の一曲「気になるあの子」の中に「最後のペーパードライバー」という歌詞が出てくるのが示唆的だなと思いました。


===

ぐるとん

初めてメールします。
僕は地方の大学に通う大学3年生です。

予告編では大学生の車離れが議論されていましたが、
地方大学の男子達にとって車はまだ十分なステータスです!
少なくともうちの大学ではw

ぼくら童貞男子達は、もてるためになにをすればいいのかわからないので、「まぁ、とにかく車じゃね?」的な雰囲気も全然ありますw

もちろん田舎だからというのもありますが、若者がまったく車を買わないなんてことはないのではないでしょうか。

僕もお金貯まったら車ほしいなぁとも思っていますし。

隣に乗せる女の子はいませんが・・・。


===

鈴木すずきち

クルマでの移動を前提として社会が設計されているアメリカでは、
未だにどんなクルマでも移動の自由を実現する手段になりえます。
ですからどんなクルマでもいまだに、
"自由のシンボル"みたいな切り口でのマーケティングが可能だと思います。

一方日本では、クルマで出かけた先での駐車の不自由問題があり、
「個人を空間的に解放する道具」として機能するクルマには
それなりの物語性みたいなものが必要だったと思います。

そんな物語性豊かなクルマの代表がシトロエン2CV(ドゥシュヴォ)、
いわゆる二馬力です。

映画で言えば『ルパン三世 カリオストロの城』。
政略結婚から逃れようとしたヒロイン クラリスが
ウエディングドレス姿で運転しカーチェイスを繰り広げるのが二馬力。
宮崎駿監督ご本人の愛車でもありました。

小説で言えば、矢作俊彦の『スズキさんの休息と遍歴』。
休刊になった自動車文化雑誌NAVI創刊時の編集長で全共闘運動の闘士
鈴木正文氏をモデルにした主人公スズキさんが二馬力でバブル期の日本
を旅するロードムービー的小説です。
スズキさんはフランス五月革命のリーダー(現 緑の党欧州議会議員)
ダニエル・コーン=ベンディットが二馬力を運転する姿にインスパイアされて
このクルマの購入に踏み切るのでした。

どちらの作品でも自由や解放への切実な欲求を実現する手段として二馬力
が描かれています。
かく言う私も17~18年前、郷里の田舎町で鬱々と退屈な金融機関勤めを
していたとき二馬力に乗っていました。
ドライブするたびに、初めて自転車に乗れたときの解放感や爽快感を思い出す
ようなクルマで、ハードウエア自体に「自由」や「解放」という理想が組み込まれて
いるような感覚がありました。

それだけでなく、デザインそのものが物語性を呼び起こすような力を持っていて
開店前のパチンコ屋の軒先、稲刈りの終わった田んぼのあぜ道、国道沿いの
レンタルビデオ屋の駐車場・・・
とにかくどんな場所でもそこに二馬力がとまっているだけで物語のひとコマに
みえるような絵になるクルマでした。

ところが今、クルマはそんな理想や物語性を失って、ドアノブやハンガーや
靴べらと変わらない単なる道具のひとつになってしまっているように思えます。
クルマが売れないという話もよくききます。私自身、ふだんは三菱の軽に乗って
いて、ほしいと思うクルマはほとんどありません。

二馬力が象徴していたような"個人の解放"なんて理想はもう過去のもの
なのでしょう。

すごく大まかにいって、現在の理想・理念みたいなものというと、
「快適な生活をなるべく犠牲にしないで人口問題・資源問題というような
人類的な課題にどう対応するか?」
というようなことなんでしょうね。

そうすると、ドライブの爽快感で個人の自由を実感するとか、
(クルマと関係ないですが)超高速CPUとふんだんなメモリを搭載した
高性能PCを使いこなして知的エリートとして生産性をあげるなんて
消費スタイルは過去のもの。
自転車/レンタカー/ともだち・家族のクルマ/公共交通機関を組み合わせて
移動効率を上げるとか、必要なデータは全てサーバにおいといて、
身一つで世界中どこへ行っても端末さえあれば自由に活動が出来る、
なんてスタイルが現在そして未来の"理想"であり"自由"なのかもしれません。

今でも二馬力をドライブする幸福な感覚は覚えているし、それを否定する気
もないんですが、こんな、後戻りできないような理想や価値観の変化に直面する
って、一言でいうと おじさんになった、ってことなんでしょうね。


Copyright© 1995-2021, TBS RADIO,Inc. All Rights Reserved.