今回いただいたメールの中から、放送中に読めなかったものをいくつか
ピックアップして掲載致します。
===
赤い赤血球は通常の3倍 ペルー・リマ市 男 34歳 鉱山技師
僕の初恋は高校2年生、相手は通学バスでみかける他校の女の子でした。「バンドが好き」との彼女の言葉に、音楽趣味ゼロだった僕はラジオで邦楽を「勉強」しようとしました。
当時、中村貴子さんがパーソナリティだったNHK-FMミュージックスクエアを聞くようになってJ-POPバンドの大ファンに。サニーデイやピロウズ、スーパーカーにのめり込みました。
ただ、残念ながら初恋相手の好きな「バンド」はDEENやFIELD OF VIEWといったビーイング系で、さっぱり会話も合わず。もちろん初恋も実らずじまいです。振り返ってみれば、あの時、初恋と一緒に「文化的初体験」を済ませたのかなと思っています。
むかしの放送を思い出してみると、パーソナリティの中村貴子さん(タカちゃん)が番組中に泣きだしたり、ゲストが番組中に寝てたり、NHKの割にけっこう無茶苦茶な番組でしたね。あの番組にいまの音楽趣味を決定付けられました。
=================
ウサコ 女性 36歳 群馬県高崎市
英語教員歴10年文化系女子です。体験Aとして、英語に夢中になれたのは子供の頃の少女漫画などの影響だと思います。キャンディキャンディから始まり、ハウス名作劇場、成田美名子さんの漫画など。金髪碧眼の美少年美少女や多国籍の格好良い外国人に理屈抜きに憧れてました。実際会ってみたら夢は覚めてしまいましたが(笑)。
体験Bとしては大学生のころ、オウム事件後の社会の雰囲気や個人的な失敗で行き詰まって社会に絶望していた私を勇気付けてくれたのがTBSラジオ「荒川恐啓デイキャッチ」の金曜ゲスト、宮台真司さんの発言の数々でした。当時の宮台さんは文科省の寺脇研さんと共に教育改革関連の発言を多くされていました。興味を抱いて著書を片っ端から読みました。(馬鹿な私には表現が難解で理解できない部分だらけでしたが) この人の言う通り改革がなされ、自分もその一端を担えたら社会が良い方向に変わるかもしれないと希望を抱き教員になりました。皆さんご存じの通りこの改革はゆとり世代を生む結果になり、私も中央と現場のギャップに苦しみ挫折しました。でも宮台さんの一押しがなければ今の自分は無いと思います。
当番組のパーソナリティ、チャーリーさんは恋愛に関する考え方に共感を覚え宮台さんに弟子入りしたと何かで読んだ覚えがありますが、宮台さんのお弟子さんがやってる番組だということでLifeの存在を知り、今こうして自分はifeリスナーになっている訳で、なんか不思議な気持ちです。
==================
パジャマ通信 三重県名張市 35歳 男性会社員
僕の文化的初体験にあたるのは、高校時代に連載が始まった、小林よしのりさんの初期の「ゴーマニズム宣言」です。
政治問題や社会問題を始め、落差別問題や恋愛論、果ては食生活の問題について、独自の視点で「ゴーマンをかます」内容は、僕にとって全てが強烈な文化的初体験でした。
大学に進学後も、講義で社会問題を扱う際に小林よしのりさんの視点が大きく影響していたように思います。
しかし、歴史認識などについては徐々に小林よしのりさんとは意見が合わなくなり、いつの間にか読まなくなっていました。
でも、新作の「脱原発論」は久々に読んでみたいなと、気になっています。
=====
まつかさ 宮城県仙台市
いまの自分を形作るきっかけとなった文化的な体験・・・と記憶をさかのぼっていくと、中学時代聴いていたラジオ番組が真っ先に思い当たります。
ゼロ年代前半、夜10時からTOKYO FMで放送されていた「やまだひさしのラジアンリミテッド」「MOTHER MUSIC RECORDS」「SCHOOL OF LOCK」や、NHK-FMの「ミュージックスクエア」をよく聴いており、現在の、日本語のものを中心とした音楽好きはこうしたラジオ体験に端を発していると思います。
特に、お金が無く、時代遅れのエアチェック(しかもMDですらなく、カセットテープ)をしていた私にとって、曲がフルでかかる「ミュージックスクエア」には大変お世話になったことを覚えています。国内の多様なポップミュージックが流れるため、J-POPから(比較的)マニアックな音楽への橋渡しをしてくれる、非常に具合の良い番組でした。
とはいえ、当時BUMP OF CHICKENにもっとも夢中だったことは、心の奥の「黒歴史フォルダ」へと厳重に格納されているわけですが・・・。
=========
ますだ39
今年44歳ですから昔話になりますから7歳頃読んだ「がきデカ」
あたりが覚えのある漫画体験で
小学生の間には「ねじ式」や「デビルマン」も読みました。
当時の書店はカバーもなく、読み放題だったので
新刊も雑誌もなんでも読んでました。
文化的となると中学の頃には
音楽の雑誌は二誌
シンセや多重録音の雑誌も二誌
航空雑誌は四誌
自動車は三誌
バイクは五誌くらい。
漫画は少年誌・青年誌・少女漫画ざっと10誌くらい
よく読んでましたね。
高校までは5000円くらい雑誌に使って、立ち読みも合わせると
月一万円くらい読んでました。
社会人になった頃はそれらの大半を買ったので
雑誌が山のように部屋に積まれました。
ネットがないってこういうことですw
これ以外に時々レコードを買ってテープに録音して
全曲歌えるくらい聴くんですよ。そういう時代です。
レコードは2800円もするような時代ですからね。
買う時も悩みきって購入。
YOUTUBEもない時代は雑誌や時折観るPVが大事な情報源。
情報は本当に貴重でした。
=========
いさかい 島根県在住 会社員 25才男性 ひとり身
わたしは一冊の本を挙げます。
高校を卒業(= 2006年)してすぐ、浪人生活のスタート時に手にとった≪≪≪立花隆『東大生はバカになったか』(単行本は2001年刊)≫≫≫ です。
この本を読んだことで、現役時代から志望していた東大を相対化するような見方ができたような気がしました。「何が何でも東大!」とガチガチに固執していたそれまでの考え方から解き放たれ、ずいぶん気が楽になったことをおぼえています。
そして大学についての考え方が変わりました。大学に入ってその大学はわたしに何をしてくれるのだろうかという視点ではなく、大学で自分が何をするのか、したいのかという視点に切りかわっていくきっかけになりました。
1年間浪人の結果、入学したのは学費免除を受けられた地方私大(法学部)です。あきらめたのか都合よく「合理化」したのか、東大は受験さえしませんでした。
学生時代には、本中に書いてあったように日経新聞を隅から隅まで読めるよう、身銭を切って4年間購読してみたり、空き時間があれば映画をみたり、おもしろそうな企画展示をしている博物館に行ったり、夏休みにはヨーロッパに行ったりもしました。
ただ、学内で同調できるような仲間は皆無でした。語学のクラスにおいてペアで会話をする場面では、わたしは一人でしたから、先生に" I have no partner " と申告し手近な学生を先生が指名し、わたしの緊急パートナーとして毎回学生1名が犠牲になり、更にわたしは忌避される...といった状況が展開されていました。
大学4年間で冒頭の本を読んだという人には出会いませんでした。これが著者の出身校であり教鞭も執っていた東大であれば違っただろうなぁ、と思います。周囲に同じ本を読んだという仲間がいて、感想を交わすことができる機会があるというのはなんとも貴重で幸せことではないかと思います(自分は括弧付き「意識の高い学生」であって周囲の学生を見下していたことも一因だった思われますが...)
わたし自身東大には駒場祭におじゃまする程度で、そう簡単に行き来できる距離ではなかったのでモグリやニセ学生として入り込むこともできませんでした。今になって、入る大学をまちがえたと後悔していないわけではないのですが、「置かれた場所で咲きなさい」といわれても、何かしら制約があって心残りするのだなあと今思い返しています。
===========
チャットモンチー 埼玉県 27歳 男性 会社員
僕がいまの自分を形作るきっかけとなった文化体験は
『伊集院光の深夜の馬鹿力』だと思います。
今までの流れでも語られていますが、まだ中学3年生の頃、上手く寝付けない時に流していたのがTBSラジオでした。まだ、ラジカセが主流の頃、TSUTAYAなどで借りたCDをテープに録音し、カセットウォークマンでヒット曲を聴いたりするのが流行っていました。
そんな中、何気なく流しっぱなしにしていたラジオのから流れていたのが伊集院光さんの深夜の馬鹿力でした。
テレビでは温厚な性格『白伊集院』で知られる伊集院光さんが日常生活の中での些細な事に対して面白おかしくツッコミを入れる普段の伊集院光さんからは想像のできない、しかし共感のできる『黒伊集院』の話術にすっかり魅了されてしまいました。
『夏のタイムマシーン』というコーナーでは過去にもし戻れるとしたら、あの時の自分に大人の自分はこう言うだろうという空想を饒舌に語る姿はラジオのもう一人の自分『ハガキ職人』の綴る共感できるエピソードで溢れていました。
あの時、自分は一人じゃないと感じ、同じように感じながら生きるラジオの先の人々を感じることができました。
また、同時期にネット上で流行していたのが個人が運営する『テキストサイト』でした。中国の最終兵器『先行者(先行者)』とブラジャーを被った渋い侍のTOP画像が印象的な『侍魂(さむらいだましい)』、白背景に文字だけの一見シンプルな外見とは裏腹に世間の日常をシニカルな視点で描く『ろじっくぱらだいす』、そんな大手サイトに触発され、文字のフォントサイズを変えたり色を変化させる事で日常に散りばめられた些細な出来事を面白おかしく公開していくネットユーザー達。
ブログが流行り始める前、ホームページビルダーやHTML辞典を片手に自分自身もlivedoorやYahoo!!Geocitysなどのフリースペースを借り、インターネット上でのコミュニケーションの醍醐味を感じたものでした。
僕らのようなファミコン世代が次世代のインターネット社会へコミットし、直接的な人間関係以外のネットコミュニケーションへ嵌っていくきっかけだったと思います
MSNが提供していたチャットルームやメッセンジャーを利用して個人サイトの管理人通しが繋がり、バレンタインデーには独り身の野郎達で秋葉原のメイド喫茶巡りやつけ麺をお腹いっぱい食べるオフなどへの企画にも参加するようになりました。
ラジオで自分と同種類の人間が多くいることを知りインターネットでホームページを運営し、人と繋がる事で現実世界でも交流をするようになる。部屋の中でラジオをひっそりと聴いていた内気な少年が段階を経て、リアルタイムで幅広い世代の人と交流し今、社会人として多くの人と接する接客業で働く。
中学時代の僕には想像もできないいまの自分を形作るきっかけとなった文化体験でした。
===========
米澤慎太朗 20才
僕の文化初体験は宇多丸さんのTBSラジオで現在も放送中のウィークエンドシャッフルです。初めて聴いたのは安室奈美恵(再評価)特集だったと思います。今でも聴いています。ゲストや出演者の幅広さと、ヒップホップからアイドル、映画評、書評まで教えてくれる、まさに師匠という感じでした。
Lifeを知ったのも宇多丸さん経由です。もし聴いてなければ、社会学を専攻することもなかったのでは、と思うと、非常に不思議な感じがします。
===========
タンバリン 37歳 埼玉県
我々の世代における「機動戦士ガンダム」、そして「ガンプラ」(ガンダムのプラモデル)の影響の大きさについては言うまでもありません。私もどっぷりとはまりましたが、なかなかうまく作れません。そこでHOW TOが欲しくて手を伸ばしたのが模型雑誌。具体的には「ホビージャパン」と「モデルグラフィックス」です。
しかし、模型雑誌はマニアのデパート。この世のありとあらゆる物体に対する愛が形にされています。最初はガンプラの記事ばっかり追いかけているんですが、だんだん同じ雑誌に載っている他の記事が気になってきます。
そこには男の子のあらゆる夢が形成されていました。戦車、飛行機、自動車そして美少女フィギュアは毎号載っています。さらに、「戦艦」「日本の城」「デコトラ」「怪獣」もジャンルとして成立していたりします。「ラーメンの屋台」なんてプラモデルまであります。なんてカオス!模型雑誌を全部楽しむには、ありとあらゆるオタクジャンルを知っている必要があるのです。
少なくとも、私はそう受け取ってしまいました。その結果、普天間にオスプレイが来たと聞けば模型屋に行き、ミハエル・シューマッハが引退すると聞けば模型屋に行き、今年の自衛隊の演習で10式戦車がスラロームしたと聞けば模型屋に行き、はやぶさの帰還に涙して模型屋に行き、まどか☆マギカの劇場版を観て模型屋に行き、ガンダムAGEの悪口を言いながら模型屋に行く、というオタク総合商社のような人間が出来上がったのです。罪深いですね、模型雑誌は。
===========
バボダンク(BABODUNK) 45歳 IT系サラリーマン
初めてメールします。
私の文化系初体験とはまさに今年、「文化系トークラジオLife」に出逢ったことです。
ポッドキャストで偶然、東京論2012を聴いたのが始まりでした。自分はどちらかというと、理系で体育会系の人間と思っていたので、文化系ってよくわからないなぁという感じでした。しかし、一度聴いただけではまってしまい、すぐにWebのバックナンバーを初回から聴き始めて、5ヶ月かかって先日すべて聴き終えました。今はターミナルのバックナンバーを聴いてます。
Lifeを聴いた後に自分の人生を振り返ってみると、音楽、書籍、雑誌、アニメ、ゲームと文化系コンテンツに触れていたのだなと過去の文化系体験がつながりました。「あだち充」原理主義者だったことも思い出しました。
最近改めてラジオが素敵な文化的メディアだと思っています。津田さんや速水さんが出演されているテレビも見るようになりましたが、ファーストコンタクトがテレビだったら引いてたと思います。(笑)Life体験後、私の新たな文化系Lifeが広がった事を感謝しています。