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2011年11月27日未読メール「ゲームと社会設計」

文化系書店紀伊國屋Life堂 「ゲームと社会設計」開催中(12/15現在)

■場所 紀伊國屋書店新宿本店3階Aカウンター前フェア台

詳しくはコチラ


さて、久しぶりの未読メール特集です。
番組中に読めなかったメールの中からいくつかピックアップしました。

===

匿名

ファミコン世代ど真ん中の1977生まれです。

以前、業界大手の会社でシステム開発部門に
在籍していたことがあったんですが、その頃は毎日
「あー会社員て本当にドラクエみたいだな~」
と思っていました。

★上司の指令=王様の指令
★担当者を探し出してシステム仕様を聞く=村人への聞き込み
★担当をアサインする=パーティを組む
★共有サーバから必要なファイルを探す=宝探し
★仕様書を書く(ファイルを保存する)=教会でお祈り
★システムトラブル=敵出現
★プロジェクト終了=中ボス打倒

シーンごとにわたしの頭の中では
ドラクエのテーマが流れてました。

と、こう書くとすごく毎日が楽しそうですが
気持ちは全然楽しくなかったので
現在は全く違う仕事をしています。

日常にゲーム感覚を取り入れて
楽しく過ごせたらいいですねえ(嘆息)。

仕事がデキる人というのはやはり「楽しそうにやってる」
ように思うので、わたしもゲーミフィケーションによる
仕事や勉強の効率化には興味があります。


===

はちごろう  練馬区・37歳 男性 自営業

初代のファミコンが発売された83年、僕は小学校4年生でした。
かなり早い段階でこの機械は面白いと確信した僕は、
その年の冬、誕生日プレゼントにファミコン本体を親にねだりました。
そのとき僕が同時に買ったソフトは「ドンキーコング」でも
「マリオブラザース」でもなく両親も楽しめる「麻雀」でした。

「麻雀」を選択した読みは大正解。
買った日の夜、両親と姉は僕が寝てもなおファミコンで「麻雀」を楽しみ、
その年の年末年始はまさにファミリーでファミコン漬けの毎日でした。
この時の経験から、僕は相手に自分の好きなものを勧める際には
自分がいいと思う要素よりも、相手の興味を引く部分を強調することの
大切さを学びました。

ただ、最初に買ったソフトが「麻雀」だったことで、
クラスでもかなり早い段階でファミコンを手に入れたにもかかわらず、
クラスメートが遊びに来ることはほとんどありませんでしたが。


===

うろーく  23歳 大学生

自分は何か作ることが好きです。
いい音楽を聞くと、DTMソフトを開きたくなるし、
いい映画を観ると、ビデオカメラを持って街に繰り出したくなります。
まあいわゆるクリエイターワナビー(笑)の典型みたいなものですが、

なんでこんなに創作にこだわっているのか考えると、
子供の頃出会ったゲームに辿り着きました。
「RPGツクール」シリーズです。

「ゲーム内でゲームを製作する」という有名なシリーズですが、
RPGツクールに限らずあらゆるゲームの「クリエイトモード」が、
私を消費から創作に喜びを見出すように誘導していた気がします。
いま、ふわっとクリエイターになったり起業家になったりする同世代をみていると、
みんなあの頃のクリエイトモードの延長を走ってるのかなあと思います。
あるいは、若者が脱消費的だと言われたりすると、
そもそも創作(生産)が娯楽としてあったからなあ、とも思います。

※あ、ちなみに勿論私も例にもれず、
RPGツクールでは「destiny of sword ~魔剣に導かれし者たち~」
みたいな厨二病全開のタイトルを作ってましたうわあああ


===

のび式 28歳、男、小金井市

東京ポッド許可局というネットラジオのイベントで、
お笑い芸人のマキタスポーツさんが、「松本人志は、お笑いを
競技化させることで、それまで大声は挙げられなかったが面白いこと
を考えていたような人をお笑いのゲームに参入させた」というような
ことを言っていました。また、長谷川町蔵・大和田俊之
『文化系のためのヒップホップ入門』では、「ヒップホップは音楽ではなく
ゲームだ」というテーゼから始まっており、音楽的素養とは関係のない
ところで見出される魅力や才能について語られていました。
共通していることは、「共通のフォーマットを設定することで、
今まで参入できなかった人やモノが参入できる」という点だと思います。

僕は現在、高校の国語教員4年目です。
国語教員をしているくらいなので国語が得意だったわけですが、
そうすると、とくに現代文ではテストやレポートが非常に窮屈なもの
だと感じるわけです。自由で多様であるはずの小説読解が、一定の
読解ルールに当てはめられて、ゲームを解く感じで読まされている
ような感覚というか。だから、国語の授業はもっと自由で多様で
あるべきだ、と、ずっと思っていました。
でも、高校の国語教員をして少し考えが変わりました。

たしかに、読解に一定のフォーマットを与えてゲーム化することは、
自由を少なからず奪うやり方です。しかし、そのゲーム化によって、
現代文が不得意だった生徒も圧倒的に現代文に参入していることも
事実です。つまり、読解のゲーム化はボトムアップとして、非常に
重要な機能を果たしていたのだと実感し、現在は、
フォーマット化・ゲーム化の重要性を捉えなおしています。

したがって、ゲーム化とは、通常は参入できない人・モノが
参入できるものとして、強く機能するものではないでしょうか。

===

ざくろ 38歳 建築系の自営

仕事中にイヤホンを片方だけ入れてPodcastを聞いているのですが、
予告編を聞いていると、イヤホンが入ってない方の耳から
『げーみふぃけーしょん?耳触りのいいこと言って、トドのつまり、
やりがいの搾取でしょ。そんなの初期Life既に通り過ぎたわ。』
と、グラップラーバギの烈海王ばりに見得を切る本田由紀さんの声
が聞こえてきました。(笑)私もそう思います。

頑張れば自分の店が持てるとか、給料が上がるとか、
かなり広い意味でとれば、世の中の事の大半はゲーミフィケーション
されていると思いますし、悪い事ではないと思います。
スタート時のポイントがマイナスで、がむしゃらに働いてポイントを貯めて、
やっと人並みの生活をおくれる程度の収入しか得られない様な場合は
問題ですが。

ゲームの世界の、戦闘を繰り返してコツコツ経験値をあげれば
必ずレベルが上がる世界は凄く健全な世界ですね。
リアルのRPGだと、ダンジョンの出口が無かったり、宝箱の中身は
ミミックばかりだったり、仲間かと思ったらPKだったり、敵の強さの割に
得られるゴールドが少なかったり...クソゲーですね。
残された望みは、人体のどこかにあるという、人生のリセットボタンを
見つけ出して別ルートでやり直す事だけです!


===

天沢らせん

僕はドラゴンクエストのふっかつのじゅもんを書き写すことで
ひらがなを学習しました。同じように、シムシティでインフラ整備の
重要性を学び、MMORPGでコミュニケーション能力を鍛えました。

ゲームで育ったというよりも、親や社会が本来するべき子育ての一部を
ゲームで補ってきたという感じです。

僕の周りでも、共働きで働いている子供はみんな同じようなものでした。

逆に言えば、ゲームに子育ての一部を担わせる事によって、
女性の社会進出や共働きが可能になったと言えると思います。

そこで、僕が提案するゲームで社会を設計するアイディアとは
「子供にもっとゲームを与える」ということです。

つまり、子育ての一部をゲームに担わせ、女性の社会進出や
共働きの負担を減らし、経済を活性化させようという提案です。

「なぜ星空は綺麗なんだろう」とか「あの地平線の向こうには何が
あるのだろう」といった疑問が人類の知性を生んだという話があります。

しかし僕らの周りには、綺麗な星空も地平線もありません。
しかし、ゲームの中にはあります。
だったら、ゲームを与えたほうが子供の知性を伸ばす意味でも有効
なのではないでしょうか。


===

さるけー 青森県十和田市

以前ねらーをしていた頃、UDというものに参加していました。
United Devicesの略で、分散コンピューティングによりガン研究に
貢献できるというものです。
毎日「宿題」と呼ばれるファイルをダウンロードし、パソコンの
使用していない領域を使ってタンパク質の構造を計算してアップロード
するという単純なものですが、この計算結果をコミュニティごとに集計
できるため、国単位や個人単位、また2ch内では板単位で競争となり、
そのため「布教活動」をして
自分の所属する「Team-2ch-VIP」の成績を伸ばすのが楽しみでした。
因みに2ch内ではやはりPC自作板が最強だったと記憶しています。
ちょっとしたことで自分が何かに貢献できるかもしれないということ、
みんなで励ましあってスコアを伸ばすこと、
スコアを伸ばすために工夫をしてみること、
気軽に楽しめるゲームとして参加していました。

しかし、当時も思っていたのですが、
その時計算されていたものが本当にタンパク質だったのか、
もしかしたらICBMの弾道計算だったんじゃないかとか。
あるいはタンパク質解析の結果「バイオハザード」のようなことに
なったりしないのかなとか。
この種のゲームは善意で参加するにしても、その結果をどう使うか
に関しては、ゲームの設計者や情報の利用者に一任されてしまうんだ
と思うと、「のせられる」って怖いなとも思います。


===

バーバラ 横浜 37歳男性

先ほど「お婆ちゃんたちとゲーム」で投稿したのですが、
今度は「お爺ちゃんたちとゲーム」で一ネタ。

大学の卒業研究で、リハビリ用の歩行訓練器を研究していたのですが、
患者さんのモチベーションをどのようにして向上させるかということを
調べていました。

結局はゲーム的な要素を取り入れてリハビリを楽しくすることにした
のですが、個人レベルではなかなか楽しめるゲームを作ることが
できずに苦労しました。

そんな中でお爺ちゃんたちにヒットしたのが、歩いた距離に比例して
女の子が脱いでいく、いわゆる脱衣ゲームです。

そんなもの研究発表できるわけもなく、現場で遊んでもらって
終わりになったのですが、男っていくつになっても男なんですねぇ。

本能に訴えるエロは、ゲームの報酬として分かりやすいのですが、
同じコンテンツでは飽きてしまうので、長続きしないような気がします。

これに対して最近のソーシャル系のゲームは、友人などの他者から
の承認などが報酬になっているように思います。
まるでマズローのピラミッドの上と下ですね。


===

迷える子羊

「人生ゲーム」は人生の様々な出来事を取り入れた
ボードゲームですが、宗教はリアルな人生をゲームに見立てている
と思います。

最後の審判や輪廻転生という概念を使って、いかに多くの
善行ポイントを溜められるか競わせます。

最近村山斉氏の「宇宙はほんとうに一つなのか」を読んで、
宗教に頼らなくとも人生を科学的にゲーミフィケーションできるような
気がしました。

人生の岐路に立ったときにどの道を選んだら良いのか、
合理的思考だけでは限界があって最後は信仰で決断するしかない。

これは5月のLife「信じる論理、信じさせる倫理」で扱われた論点でした。

しかし、平行宇宙が絵空事ではなく、別の道を選択した自分の分身が
平行宇宙で異なる人生を歩むことになると思えば、気が楽になって
一歩踏み出す勇気が湧いてきます。

もちろん科学的思考の枠組みで選択が可能になるといっても、
モヤモヤが全て解消するわけではありませんが。


===

えぴくす

「幸せな未来は『ゲーム』が創る」の解説でも言及していただいている
「ARG情報局」という情報サイトを運営しております。

今回は「ゲームと社会設計」というテーマということで、
居ても立っても居られず、メールを書いています。


■私の人生にゲームが与えた影響&ゲームで社会を設計するアイディア

私は、マクゴニガルがディレクションした
北京オリンピックのプロモーションARG
「The Lost Ring」は貴重な体験でした。

まず、これに参加してARGの魅力にヤラれなければ、
ARGの情報サイトなんて運営していませんが、
それはおいておくとして。

このゲームの参加者と何ヶ月もの間、ネット上の掲示板で議論をしたり、
実際に代々木公園で何度も「古代に失われたオリンピック競技」の練習を
した中で、短期間に他のプレイヤーと親密な関係が築かれました。
東京のチームが、全世界のチームが参加したこの架空のオリンピック
競技で、金メダルを取れたことは、大きな思い出となっています。

このように、超目標と、それに辿り着くまでのちょうどいい中間目標を与え、
その過程と結果をドラマチックに演出する代替現実ゲームは、
共通体験を通じて、強く結ばれたコミュニティと、鮮烈な思い出を
提供することが可能です。

地域レベルでのコミュニティや共通体験が失われつつあり、
ともすると、仲間との思い出すら得にくくある現代において、
人と何かを達成したという経験や思い出を得る場を作る力が
代替現実ゲームにはあります。

他人が与えた舞台で何が経験か、という意見もあると思いますが、
それをいったら甲子園だって人が作ったシステムです。
その場で、各自がどう思い、如何に行動し、何を得たかが重要のはず。

違う言い方をすれば、大人でも参加できる文化祭。
それも、誰かがドラマチックに盛り上げてくれる文化祭です。
少しだけ誰かがお膳立てしてくれていて、でも、自分も頑張ったと
思える場。日々の日常の他に、そんな場がいくつかあれば、
人生がもう少し楽しくなるのではないかと思っているのですが、
いかがでしょうか?


■ARGについての豆知識

書籍「幸せな未来は『ゲーム』が創る」の文脈では、ARGは現実を
よくするための道具として扱われていますが、解説にもあるとおり、
ちょっと偏っていますので、
ARG普及活動を行っている立場から、少しだけ補足させてください。

・現在主流のARGの形式が成立したのは、映画「A.I.」のプロモーション
 で行われた2001年の「The Beast」と言われています。
その当時はARGという語はまだなく、このゲームに魅了された
 プレイヤーコミュニティがその後の ARG の流行を生み出していく
 ことになります。

・「The Beast」はマイクロソフトのチームにより制作されましたが、
 その基礎となるゲームデザインはジョーダン・ワイズマン氏による
 ものです。ワイズマン氏は、バトルテックやシャドウランなどのTRPGの
 ゲームデザイナーとしても有名です。ARGはTRPGの文脈を継いだ娯楽
 として生まれています。

・映画「ダークナイト」のプロモーション ARG「Why So Serious?」は、
 1000万人以上の参加者を得て、2009年のカンヌ国際広告祭の
 サイバー部門のグランプリを獲得しています。

・ARGはしばしばカメラ画像にCGを合成するAR技術のゲームと勘違い
 されますが、AR技術のARは拡張現実(Augmented Reality)であり、
 異なります。

・ARGは日本ではしばしば Alternative Reality Game と書かれますが、
 正しくは Alternate です。「幸せな未来は『ゲーム』が創る」でも日本語訳の
 際に間違って表記されていますが、次の版から修正されます。


■「現実代替ゲーム」という呼称につきまして

チャーリーさんが予告編のなかで「現実代替ゲーム」と発言されていた
のが気になっております。Alternate Reality Game としては、
「代替現実ゲーム」という訳語が定着しています。

実は、ARG制作関係者の中では以前からこの語がとても分かりにくいので、
なんとか代わりの語はないものか、という議論は何度も出ています。

ただ、仮に「代替現実ゲーム」という訳語が適切ではないという考えで
「現実代替ゲーム」と呼称されているのでしたら、できれば、
そんな中途半端な直し方ではなく、「代替」という言葉を使わない、
もっと適切な訳語を考えた上で、提案していただけないか、というのが
切なる希望となります。(現実と物語の世界が交差している、という
ニュアンスのよい訳語があればよいのですが)

ただでさえ、ARG周りは名称の混乱が酷いので、これ以上微妙に
紛らわしいのは普及上、混乱を生むだけのため、ご勘弁ください......。


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