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2010年9月26日「新・家族の条件」未読メール2

モレーン大学生 男

僕の理想の家族は、テレビでちょっとエッチなシーンが流れていても
気まずくならない家族です!僕は正直あの空気が苦手です。
すぐにでも部屋を出ていきたいのですが、今部屋を出ると逆に意識してる
んじゃないか、などと思われてしまいそうなので結局黙ったままテレビを
見ています。あの気まずい状況は、一体どのようにすれば打開できる
のでしょうか?


=====

いとう

私は30代後半の僧侶です。

中国、韓国、日本が属する東アジアの地域には、古くから、先祖を同じくし、
同じ宗廟(そうびょう)を守り、祭祀(祭り)を共に行うものが、ひとつの家族
である、という考えがあります。この考え方は、時代や国ごとに、さまざまに
形を変えながらも、この地域の文化における家族観の底流をなしてきました。
日本でいえば、旧体制の象徴であり、さまざまな形で"解体"され、
今や滅びゆく存在として挙げられる"家父長的イエ制度"がその代表であり、
もっと身近な例でいえば同じご先祖様を持ち、同じお墓にお参りするのが
家族である、という見方になるでしょうか。

確かにこれらは、さまざまなデータでいえば、もはや風前の灯と申しますか、
衰退の一途をたどる家族観のようにも見えます。しかしながら、これらはまた
別の視点から見れば、現在の自分について、今あるだけの"点"ではなく、
過去から続くなにがしかの系譜の一部、"線"の一端であると実感させてくれる
見方であるようにも思えます。

自分は世界から切り離された存在ではなく、さまざまな関係性の帰結
(仏教ではこれを"因果"とか"縁"とか呼んでいますが)によって、今ここに
立っているという実感は、あらゆるものの"意味"が解体されつくした、
索莫とした世界にあって、せめてもの慰めになるような気がします。

もちろん、そうした前時代的なイエ制度に戻れというわけではありません。
しかし、"新しい家族の条件"を考える時、我々(の文化)に脈々として流れる、
それら"過去から流れるモノ"への執着について、一考があった方がよいかな
という気がしています。

本日はお彼岸の明けの日で、うちのお寺にもたくさんの方がお参りに
来てくれました。「新・家族の条件」に、どのような意見が寄せられるのか、
興味深く聴かせていただきたいと思っていますが、「現在の自分の視界」だけ
に映るものではなく、来し方行く末といったような、過去や現在、未来を結ぶ、
時間上の"縦の繋がり"にも目を向けた意見があれば嬉しいなと思っています。
以上、乱文失礼いたしました。


=====


YS 愛知県 25歳 無職男

初めてメールします。いつも楽しく聞いています。
さて、今回のテーマに関して私が真っ先に思い浮かべたのは
『カラマーゾフの兄弟』です。

――以下引用――

「俺はね、どうすれば身近な者を愛することができるのか、どうしても
理解できなかったんだよ。俺の考えだと、まさに身近な者こそ愛することは
不可能なので、愛しうるのは遠いものだけだ。(中略)人を愛するためには、
相手が姿を隠してくれなけりゃだめだ、相手が姿を見せたとたん、
愛は消えてしまうのだよ」

――引用終り(新潮文庫版上巻より)――

幼い頃から気を許せない他人の家族の中で育った次男イワンの台詞です。
人により意見は分かれそうではありますが、私はこれは真理だと思っています。
例え血の繋がる家族であろうとも、愛して、理想的な家族関係を維持していく
ことはとても難しいことです。

この「身近な人ほど愛するのは難しい」というテーマに絶望してしまったのが
イワンですが、ドストエフスキーは同じテーマをゾシマ神父においては
ポジティブに語らせます。「絶望する必要はない、隣人愛・実践的な愛は、
忍耐であり仕事である」と彼は言います。愛することの難しさをポジティブに
認めることこそが、愛を苦手とする者の救いになると言います。

私自身家族関係がうまくいっていない者ですが、
この「身近な人ほど愛するのは難しい」という言葉に随分と助けられています。
「どうせ理想の家族なんて無理だよ」という酸っぱいブドウ的な悲観ではなく、
「確かに無理だができることからやってみよう」というポジティブな諦念こそが、
どんな家族関係においても潤滑油となるのではないでしょうか。家族だから
子どもだから、愛せて当然という強迫観念から起こる虐待があるのなら
悲しいことです。

最後に、私が一員になりたい家族は、よつばと!のお隣綾瀬家です。


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