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2007/02/17 「『叫』~黒沢清監督を迎えて」 アーカイブ


2月17日(土)のテーマは「『叫』~黒沢清監督を迎えて」

※2月のLifeは毎週ウェブ中継を行います。
パソコンがあればインターネットでリアルタイムに放送が
聴けますので、TBSラジオが入らない地域の方もぜひ。

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今週のLifeは新作映画『叫』の公開(2月24日~)を前に、

映画監督の黒沢清さんをゲストにお迎えします。

20070217pre.jpg

聞き手は鈴木謙介(charlie)、佐々木敦、仲俣暁生

たとえば、「霊が見える」という人がいます。僕はその話を否定も肯定もしませんが、もしも、死んでしまった人が見える、あるいはその人と話ができるとしたら、それはどういうことなのだろう、と時々思います。死んだ人といつまでも話ができたら、誰かが死ぬことは悲しいことじゃなくなるんだろうか。それよりも、死んでしまえと思っていた人といつまでも関係が切れなくて、ウザい思いをすることになるんだろうか。

黒沢清監督の新作映画「叫」は、幽霊の叫びをテーマにした本格ミステリーですが、試写を観て僕が思ったことは、「死んだ人と付き合いながら、未来に向かって生きていくこと」の難しさです。このLifeという番組は、初回の「バブル」からずっと、過去と未来の間で、変わっていくもの、消えていくもの、新しく現れてくるものについて語ること(時には「叫」ぶこと)を、テーマのひとつにしてきましたが、今回は、黒沢監督をゲストにお迎えして、新作『叫』の話題、そしてLifeで語ってきたこととの共通点について話していこうと思います。

公開直前ということで、ネタバレになるような話はできないのですが、作品を観に行く前に今回のLifeを聴いておけば、鑑賞したときに心に残るものの重さが、がぜん違ってくる、そんなトークができればいいなと思っています。世界的な評価を受けている黒沢監督が、じきじきにラジオの生放送で自分の作品について長時間しゃべってくれるなんて、そうそうない機会だと思うので、まだ黒沢作品に触れたことがないという方も、ぜひ聴いてください。

リスナーの皆様には「黒沢清監督への質問」を募集します。『叫』を試写でご覧になった方はもちろん、過去の作品についての話題や、映画を作る上での姿勢、個性的な俳優・女優さんたちとの接し方など、何でも結構です。「黒沢清監督の作品を観て思ったこと、考えたこと」などもどうぞ。life@tbs.co.jpまでどうぞ。

text by charlie

↓『叫』公式サイト
http://sakebi.jp/index.html

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80年代、90年代、そしてゼロ年代とまさにLifeが問題にしてきた時代に撮り続けてきた黒沢清監督。いわゆる大ヒット作こそないものの、ある年代の文化系の人間にとっては特別な存在の映画作家ですよね。シネフィルとは違った角度から、charlieがどんな話を引き出すのか、また、黒沢映画に注目し続けてきた佐々木敦さん(近年は音楽や文芸方面での批評活動が目立つ佐々木さんですが、当初は『映画的最前線 1988‐1993』『ゴダール・レッスン―あるいは最後から2番目の映画』など、映画のイメージが強かったですね)や、東京論を準備中の仲俣暁生さんが『叫』をどう観るのか、などなどスタッフとしてもとても楽しみです。

ちなみにメールはなるべく早めにいただけると助かります。もちろん、放送を聴いてのリアクションは放送中にどんどん送ってくださればいいんですが、事前のお題メールが放送直前くらいに集中しがちなので。早めに送っていただけるとゆっくり吟味できるので読まれる可能性もUPしますよ。またなるべくラジオネームをつけていただけると読みやすいです。

さて、その次はいよいよ2月25日(日)深夜のスペシャルバージョン。
25日(日曜日)の深夜25:30~28:00(月曜1:30am~4:00am)の
たっぷり2時間半生放送!

テーマは「大人になること」。
どうにも大人になりきれない出演者が多い気がするこの番組ですが
(「理想の女性」の回なんてサークルの部室どころか、中学生の修学旅行
の男子部屋の雰囲気でした...)、だからこそ悶々、切々と2時間半、
「大人になること」について語り合ってもらいたいと思います。
しつこいようですが、この日はいわゆる「スペシャルウィーク」
こんなテイストの番組がラジオとしてアリなのか、ナシなのか、
問われていたりするわけです。
いつもはPodcastで楽しんでいる方も、出来る限り生放送を聴いて下さい。
TBSラジオ(AM954)が聴けない地域の方も、ウェブ中継がありますので。

                                   (黒幕はせがわ)

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2月17日放送「『叫』~黒沢清監督を迎えて」Part1


※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
※最新エピソードはユーザー登録なしでお聴きいただけます。

20070219.jpg

このブロックでかけた曲は
新作映画『叫』の主題歌
●中村中 "風になる(cinema version)"
黒沢清監督がお気に入りの1曲
●Nuova Compagnia di Canto Popolare "Jesce Sole "


黒沢清監督作品↓

※次回の放送は深夜のスペシャルバージョン。
2月25日(日曜日)の深夜25:30~28:00(月曜1:30am~4:00am)の
たっぷり2時間半生放送!
テーマは「大人になるということ」。
ウェブ中継もあるのでぜひ生放送で聴いてください!

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2月17日放送「『叫』~黒沢清監督を迎えて」Part2


※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
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20070220.jpg

このブロックでかけのはcharlieの選んだこの名曲
●THE BACK HORN  "未来"(『アカルイミライ』主題歌)

黒沢清監督作品↓

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2月17日放送「『叫』~黒沢清監督を迎えて」Part3

※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
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20070221.jpg
「一番好きなのは『降霊 ~KOUREI~』かも」by佐々木敦さん


参考資料↓

『エクソシストIII』はサイコスリラーの大傑作!『CURE』にヤラレた人は必見です。
リメイクしたい作品、具体的にはお答えが無かったので黒沢監督がお気に入り
として挙げている70年代アメリカ映画の中からDVD化されている作品を2本紹介。

このパートのBGM

「もしも過去に自分の家に住んでいた全ての人たちが、ゴーストになってその家に出没したら?」というコンセプト・アルバム。とても柔らかで暖かいフォークトロニカです。

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2月17日放送「『叫』~黒沢清監督を迎えて」Part4(外伝1)


※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
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参考資料↓

黒沢清監督作品↓


ところで、僕が『叫』の試写を観ていくつかの作品を連想したのですが、そのひとつが
内田百閒『花火』という短編小説です。「花火」には次のような一節があります。

「その時に、私はふと縁にうつ伏せになっている女の白い襟足を見入っていた。女は顔も様子も陰気で色艶が悪いのに、襟足丈は水水していて云いようもなく美しい。私は、不意に足が竦んで、水を浴びたような気持がした。私はこの襟足を見た事があった。十年前だか二十年前だかわからない、どこかの辻でこの女に行き会い、振り返ってこの白い襟足を見た事があった。ああ、あの女だったかと私が思い出す途端に、女がいきなり追っかけて来て、私のうなじに獅噛みついた。『浮気者浮気者浮気者』と云った。私は足が萎えて逃げられない。身を悶えながら、顔を振り向けて後ろを見ると...(つづく)」

怖え~ (黒幕はせがわ)

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2月17日放送「『叫』~黒沢清監督を迎えて」Part5(外伝2)


※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
※最新エピソードはユーザー登録なしでお聴きいただけます。

参考資料↓

黒沢清監督の著作↓

黒沢監督、文章も面白いっす。

■放送後のスタジオの様子をご覧いただけます。
動画を見る 放送後の様子(動画:3MB)
※動画をご覧いただくにはWindows Media Playerが必要です。

『叫』を「Life」的視点にこじつけるための個人的な妄想
今回、黒沢清監督をゲストにお招きしたことについてやや唐突な印象を受けた方もいたようですが、黒幕はせがわは『叫』の試写を観たときに「これはLifeで取り上げねば!」と勝手に思い込んでしまったわけです。どうしてそう思ったのか説明させていただくとですね、まず、この映画では15年前のある出来事が重要なカギになっています。15年前といえば、バブルの絶頂から崩壊に至る時期ですね。17年前のバブル絶頂期にタイムスリップするというホイチョイの映画『バブルへGO!』が同じ時期に公開されている(内容は対照的ですが)のが、また何とも興味深いです。→2006/10/07 「バブル」ってなんだ?http://www.tbsradio.jp/life/20061007_bubble/

『叫』の主な舞台は湾岸地域。バブル期に「ウォーターフロント」として急激に再開発が進み、さらに現在の再・再開発ブームの舞台にもなっている場所ですね。また殺人の被害者の一人は八王子出身ということになっています。まあ別に八王子という場所が大きな意味を持っているわけじゃないと思いますが、わざわざ八王子の実家のシーンがあったりして、東京の西の方の出身の僕には印象的でした。八王子はバブル期には都心の地価上昇でベッドタウンとして注目され、都心から大学が次々に移転してきましたが、バブル崩壊後は人口増も鈍化、百貨店も次々撤退し、再・再開発で急成長する立川に差をつけられているという印象があります。→2007/02/03 「東京」
http://www.tbsradio.jp/life/20070203/

この八王子出身の被害者を演じているのが葉月里緒奈さんなんですが(って言っちゃうとちょっと違うんですが、詳しくは言えません)、葉月さんのデビュー作は山田太一さん脚本のドラマ『丘の上の向日葵』('93、名作!)。このドラマの舞台が八王子市南大沢のニュータウンだったことを思い出します。山田太一といえば、山田太一原作の映画『異人たちとの夏』('88、大林宣彦監督)も、『叫』を観て連想した映画のひとつです。『異人たちとの夏』は地下鉄旧新橋駅(汐留のあたり。再開発の現場ですね)のシーンから始まる映画ですが、この映画の主人公と女の幽霊の関係が、『叫』の主人公と女の幽霊の関係と似ています。バブルの絶頂に向かう時期に公開された『異人たちとの夏』と、「バブル・アゲイン」なんて言われ始めている時期の『叫』。
それから、もうひとつ。ネタバレになっちゃうとアレなんで詳しくは言えませんが、僕には『叫』が一種の「Lost Generation」(→2007/01/13「失われた10年~Lost Generation?」http://www.tbsradio.jp/life/200701210lost_generation/)映画のようにも思えたんです。幽霊を演じる葉月さんが'75年生まれで僕とほぼ同い年、思いっきりこの世代だってこともありますが、前述の八王子の実家で母親が、殺された娘について「定職にもつかずアルバイトをしながら気儘に暮らしておりました。~でもそのように育てたのは私たちなんです。誰にも頼らず自由にやっていけ、って。そんなことをいまさら後悔してもどうしようもありませんが」とか言うわけです。で、この母親はなぜか娘の婚約者だった男に金をせびられ続けている、と。なんかねえ、フリーター、ニート問題を連想してしまいました。バブル期に新しいポジティブな生き方みたいな煽てられ方をしていたフリーターが今じゃ「再チャレンジしなきゃいけない人」って何だよ、とか。

さらに、この映画では一種の「ひきこもり」が重要なポイントになっています。これも詳しくは言えませんが、誰からも忘れ去られて死んだとき、肉体は滅びても強烈な孤独感と不満と憎悪だけが残ったら...?思い出したのが萩原朔太郎の『死なない蛸』という有名な詩。存在を忘れられた水族館の蛸が、空腹のあまり自分の足を食べ、内蔵を食べ、脳を食べ全身を食べ尽くして消滅してしまうという内容。その詩を引用して無駄に長いこの文章を締めることにいたします。(青空文庫より引用)


 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
 けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
 或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
 けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい欠乏と不満をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。
~                 
                            (黒幕はせがわ)

上山和樹さんがブログで言及してくれています↓
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20070222#p3

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